夏オフ英雄列伝・その2
2004年8月26日 ポケネコラム夏オフのことは旬を逃した感があるのでもう書かなくてもいいかと思ったが、やはり中途半端で気持ち悪い人もいるようなので続きは書いておく。
EVEは、もう末期だ。
おばちゃん細胞が全身に転移している。
健康サンダルの話とかするのは、もう、わざとやってるんじゃないかと思うくらいだ。
このまま終わってしまっていいのか。いや、と言うよりも、もう終わっている。合掌。
そんなEVEは、俺がポポラとじゃれ合うのを見てこんな事を言う。
「三年前の名古屋オフから、相手が変わっただけでやってることは変わってないね。
成長してないよね。」
残念だが、それは違う。
俺が大人になっていないのではなく、あなたが大人になりすぎてしまったのだ。
もはや3年前のEVEはこの世にはいない。合掌。
今回、かなり久しぶりのオフ参加となったのびえもんは、ブランクがあるので場の雰囲気の馴染めるかどうかが、俺の中では懸念材料だったのだが、全く心配には当たらなかった。
かつて、俺はのびえもんのことを見た目はジャイアン、性格はスネ夫、だけど名前はのびえもんと評したことがある。
この表現は、まさしく言い得て妙だと自画自賛しているのだが、のびえもんは、ポケネオフでは常にスネ夫的存在、つまりは子分肌なのだ。
basaraは、「のびえもんは俺がいじったから輝けた」と言っていたが、そうではない。
のびえもんは、自分の役割を敏感に察して、そしてbasara(その場におけるジャイアン的存在)にいじられに行ったのだ。全ては、のびえもんの卓越したスネ夫的処世術の成果なのだ。
三年前、彼にとってのジャイアンはすぷーむだった。対象が変わっただけで、のびえもんがやっている事は変わらないし、変える必要も無かった。
どれだけブランクがあろうとも、彼はいつだって7番キャッチャーでスタメンが張れる。
今回ほど鉄道神ことたてがピックアップされていたオフも無いだろう。
なんていうか、その鉄道神という響きのヌルさとか、そういうぐだぐだ感をわざと狙っての事だったのだが、これは残念な事に、思ったほどぐだぐだにはならなかった。
ある意味、誤算だった。たてが案外カッコよくなっていたからである。
でも、ぐだぐだ感がダウンしても、それでも神は神です。basaraなんて無視して冷やし中華を食べましょう。イェイイェイ。
あと、akiraはいいね。
最近のポケネの事情なんて知らなくても身軽に動ける。
夕食時にポポラの話し相手になっててくれたのは俺的にも助かったし。
彼は、何らかの形で最萌トーナメントに出そうと思います。
どこで出てくるかはまだ秘密ということで。
EVEは、もう末期だ。
おばちゃん細胞が全身に転移している。
健康サンダルの話とかするのは、もう、わざとやってるんじゃないかと思うくらいだ。
このまま終わってしまっていいのか。いや、と言うよりも、もう終わっている。合掌。
そんなEVEは、俺がポポラとじゃれ合うのを見てこんな事を言う。
「三年前の名古屋オフから、相手が変わっただけでやってることは変わってないね。
成長してないよね。」
残念だが、それは違う。
俺が大人になっていないのではなく、あなたが大人になりすぎてしまったのだ。
もはや3年前のEVEはこの世にはいない。合掌。
今回、かなり久しぶりのオフ参加となったのびえもんは、ブランクがあるので場の雰囲気の馴染めるかどうかが、俺の中では懸念材料だったのだが、全く心配には当たらなかった。
かつて、俺はのびえもんのことを見た目はジャイアン、性格はスネ夫、だけど名前はのびえもんと評したことがある。
この表現は、まさしく言い得て妙だと自画自賛しているのだが、のびえもんは、ポケネオフでは常にスネ夫的存在、つまりは子分肌なのだ。
basaraは、「のびえもんは俺がいじったから輝けた」と言っていたが、そうではない。
のびえもんは、自分の役割を敏感に察して、そしてbasara(その場におけるジャイアン的存在)にいじられに行ったのだ。全ては、のびえもんの卓越したスネ夫的処世術の成果なのだ。
三年前、彼にとってのジャイアンはすぷーむだった。対象が変わっただけで、のびえもんがやっている事は変わらないし、変える必要も無かった。
どれだけブランクがあろうとも、彼はいつだって7番キャッチャーでスタメンが張れる。
今回ほど鉄道神ことたてがピックアップされていたオフも無いだろう。
なんていうか、その鉄道神という響きのヌルさとか、そういうぐだぐだ感をわざと狙っての事だったのだが、これは残念な事に、思ったほどぐだぐだにはならなかった。
ある意味、誤算だった。たてが案外カッコよくなっていたからである。
でも、ぐだぐだ感がダウンしても、それでも神は神です。basaraなんて無視して冷やし中華を食べましょう。イェイイェイ。
あと、akiraはいいね。
最近のポケネの事情なんて知らなくても身軽に動ける。
夕食時にポポラの話し相手になっててくれたのは俺的にも助かったし。
彼は、何らかの形で最萌トーナメントに出そうと思います。
どこで出てくるかはまだ秘密ということで。
夏オフに付いてもうちょっと書き加えるつもりだったのだが、日が開いてしまったために、それはいずれ、何かの機会に回すことにして、今回は別のネタを。
先日、横浜で小規模なオフをやった時に星野ヤマトに会う機会を得た。
俺はそれまで、このヤマトをオフ等に誘いたがるbasaraに対して、
「ヤマトにはもっとデリケートに接するべきだ。性急にコンタクトを取りに行くと、かえってポケネから遠ざけてしまう事になるのではないか」
と主張してきた。
それはつまり、俺がそれまでポケネでの印象から、ヤマトが、芯の細い、たおやかな女性であるというイメージを持ってきたからなのだが、実物を見てその印象は覆された。
ヤマトというのは、肝の据わった強い女だった。
basaraらと一緒にゲーセンに行った時、俺は彼女とポップンのバトルモードで対戦した。
ポップンのバトルは三本勝負なのだが、音ゲーの腕は俺の方が大分下なので、一本目は、かなりの大差で俺が負けた。
ここで、普通ならこのレベルの曲では実力差がありすぎて勝負にならないことが分かって、二曲目からはまともな勝負になる程度まで曲のレベルを下げるだろう。
ところが、このヤマト、二曲目以降むしろ曲のレベルを上げてきた。
手加減など微塵も無い。俺を一方的に叩き潰しにかかっていた訳である。
何という向こうっ気の強さ。
その後カラオケに行ったのだが、ここで入る前に皆で今日はアニソンしか歌わないという約束をしたのだが、俺やbasaraはアニソンだけでテンションを保つのがキツくなって他の曲に逃げ、ポッポ博士はそもそも2、3曲しか歌ってないので、実質的に約束を守り貫けたのはヤマトだけだったと言える。
有言実行の人だ。
しかも終盤、basaraが『経験II』やら『金太の大冒険』やら、下ネタに走った曲ばかり入れた。
普通の女の子だったら、これは引いてしまう。
だが、ヤマトは引かない。それどころか、『金太』など、マイクを取って一緒に歌ってしまう始末。
何という豪胆さ。
そもそも、他の参加者が全員年上の男であるところに単身乗り込んで来たというだけでも、これは大変な勇気なのである。
さらに言うならば、ヤマトは実生活においても十分にその精神的な強さを発揮しているのではないかと言うことがうかがい知れる。
そのトレードマークの極端に長い髪一つとっても、高校でそんな極端な目立つ髪型をしていたら、普通の女の子だったらいじめの対象にだってなりかねない。
出ても打たれぬ杭。
この事から、実生活の中でもリーダー格を張っているような器なのではないかと想起される。
考えてみれば、俺が定着させた鼻からご飯粒が出るというあまりにも失礼極まるキャラクター付けを受け入れ、自分の物としてしまったほどの人なのである。
そんな人が弱い女であろうはずも無かった。
ポッポ博士のことをかわいいかわいい言っているあたりまで含めて、ヤマトはとにかく強い。
先日、横浜で小規模なオフをやった時に星野ヤマトに会う機会を得た。
俺はそれまで、このヤマトをオフ等に誘いたがるbasaraに対して、
「ヤマトにはもっとデリケートに接するべきだ。性急にコンタクトを取りに行くと、かえってポケネから遠ざけてしまう事になるのではないか」
と主張してきた。
それはつまり、俺がそれまでポケネでの印象から、ヤマトが、芯の細い、たおやかな女性であるというイメージを持ってきたからなのだが、実物を見てその印象は覆された。
ヤマトというのは、肝の据わった強い女だった。
basaraらと一緒にゲーセンに行った時、俺は彼女とポップンのバトルモードで対戦した。
ポップンのバトルは三本勝負なのだが、音ゲーの腕は俺の方が大分下なので、一本目は、かなりの大差で俺が負けた。
ここで、普通ならこのレベルの曲では実力差がありすぎて勝負にならないことが分かって、二曲目からはまともな勝負になる程度まで曲のレベルを下げるだろう。
ところが、このヤマト、二曲目以降むしろ曲のレベルを上げてきた。
手加減など微塵も無い。俺を一方的に叩き潰しにかかっていた訳である。
何という向こうっ気の強さ。
その後カラオケに行ったのだが、ここで入る前に皆で今日はアニソンしか歌わないという約束をしたのだが、俺やbasaraはアニソンだけでテンションを保つのがキツくなって他の曲に逃げ、ポッポ博士はそもそも2、3曲しか歌ってないので、実質的に約束を守り貫けたのはヤマトだけだったと言える。
有言実行の人だ。
しかも終盤、basaraが『経験II』やら『金太の大冒険』やら、下ネタに走った曲ばかり入れた。
普通の女の子だったら、これは引いてしまう。
だが、ヤマトは引かない。それどころか、『金太』など、マイクを取って一緒に歌ってしまう始末。
何という豪胆さ。
そもそも、他の参加者が全員年上の男であるところに単身乗り込んで来たというだけでも、これは大変な勇気なのである。
さらに言うならば、ヤマトは実生活においても十分にその精神的な強さを発揮しているのではないかと言うことがうかがい知れる。
そのトレードマークの極端に長い髪一つとっても、高校でそんな極端な目立つ髪型をしていたら、普通の女の子だったらいじめの対象にだってなりかねない。
出ても打たれぬ杭。
この事から、実生活の中でもリーダー格を張っているような器なのではないかと想起される。
考えてみれば、俺が定着させた鼻からご飯粒が出るというあまりにも失礼極まるキャラクター付けを受け入れ、自分の物としてしまったほどの人なのである。
そんな人が弱い女であろうはずも無かった。
ポッポ博士のことをかわいいかわいい言っているあたりまで含めて、ヤマトはとにかく強い。
夏オフ英雄列伝・その1
2004年8月13日 ポケネコラムさて、それでは個人ネタ。
ポッポ博士の面白さはもはや円熟期に達したと言っていいだろう。
・快竜に貸した扇子を壊される
・集合場所に集まって座るとき、なぜか正座
この時点で佇まい的にかなり面白いのだが、
・そのせいで足がしびれて動けなくなる
・レストランで店員に渡されたおしぼりが思いのほか熱く、アチャチャチャチャってなってる
などの活躍ぶり。
活躍も何も、全て天然である。やはり天然素材には敵わないのか。
俺はいわゆるいじられキャラだ。
いじられる側に対していじる側の人間に関して述べると、basaraは俺よりも年下ということもあって、どうも立場的に全力でいじられに行く事が出来ずにいる。
そういう風に考えると、俺に対して全力でいじりに来れる人間は、俺と同い年のつねり魔快竜くらいしかいないのかもしれない。
「こいつと同い年なの恥ずかしいわ!」の台詞どおり、力いっぱいドツいてくれる。
今後、快竜との絡み方はまだまだ研究の余地があるかもしれない。
とりあえずスピードでかく乱しようと周りをぴょんぴょん跳びはねて、結局捕まってボコボコにされるとか。
いじられキャラは、ボコボコにされることを恐れてはならない。
年々つねる強さが強くなっていっていることも、注目すべき要素であろう。
今回、basaraに関して一つ、大きな発見があった。
この男、鉄道四天王を相手どり、熱くバスについて語ることが出来るではないか。
まさかそんな所に引き出しを持っていたとは。
basara侮り難しである。
事前の話では、このbasaraとGエンペラーとキャラがかぶっている、ということが懸念されていたらしいが、何と言うことは無い。
似たノリの者同士で意気投合していたではないか。
ただ、テンションは上がる分、多数の人間が付いていけず置き去りになるというのはGの特徴である。
ふんどしをはいていた場合には、更に突き抜けて皆を置いてけぼりにして行ってくれる事だろう。いや、むしろ俺はそれを期待したい。
一人ぼっちを恐れずに、もっとふんどしをはくべきだ。
俺もお面をかぶるから。
余談だが、オフ会後に、Gがバサラがバイトしているコンビニに来たそうだ。
エロ本だけ買って帰ったらしい。
非常にGらしいエピソードである。
ポッポ博士の面白さはもはや円熟期に達したと言っていいだろう。
・快竜に貸した扇子を壊される
・集合場所に集まって座るとき、なぜか正座
この時点で佇まい的にかなり面白いのだが、
・そのせいで足がしびれて動けなくなる
・レストランで店員に渡されたおしぼりが思いのほか熱く、アチャチャチャチャってなってる
などの活躍ぶり。
活躍も何も、全て天然である。やはり天然素材には敵わないのか。
俺はいわゆるいじられキャラだ。
いじられる側に対していじる側の人間に関して述べると、basaraは俺よりも年下ということもあって、どうも立場的に全力でいじられに行く事が出来ずにいる。
そういう風に考えると、俺に対して全力でいじりに来れる人間は、俺と同い年のつねり魔快竜くらいしかいないのかもしれない。
「こいつと同い年なの恥ずかしいわ!」の台詞どおり、力いっぱいドツいてくれる。
今後、快竜との絡み方はまだまだ研究の余地があるかもしれない。
とりあえずスピードでかく乱しようと周りをぴょんぴょん跳びはねて、結局捕まってボコボコにされるとか。
いじられキャラは、ボコボコにされることを恐れてはならない。
年々つねる強さが強くなっていっていることも、注目すべき要素であろう。
今回、basaraに関して一つ、大きな発見があった。
この男、鉄道四天王を相手どり、熱くバスについて語ることが出来るではないか。
まさかそんな所に引き出しを持っていたとは。
basara侮り難しである。
事前の話では、このbasaraとGエンペラーとキャラがかぶっている、ということが懸念されていたらしいが、何と言うことは無い。
似たノリの者同士で意気投合していたではないか。
ただ、テンションは上がる分、多数の人間が付いていけず置き去りになるというのはGの特徴である。
ふんどしをはいていた場合には、更に突き抜けて皆を置いてけぼりにして行ってくれる事だろう。いや、むしろ俺はそれを期待したい。
一人ぼっちを恐れずに、もっとふんどしをはくべきだ。
俺もお面をかぶるから。
余談だが、オフ会後に、Gがバサラがバイトしているコンビニに来たそうだ。
エロ本だけ買って帰ったらしい。
非常にGらしいエピソードである。
ポケネのcommander
2004年8月11日オフ会が終わった。
俺にとっては、実質的には初めて幹事を務めることになったと言えるオフだった。
今日から数日間にわたって、オフ会についての様々な考察を書き記していきたいと思う。
まず、自分の務めた幹事という仕事について、改めて考え直してみたい。
幹事とは何をする人間か。
それはオフ会を運営する人間だ。
オフの前までには計画を立てたり、告知して参加を呼びかけたり、当日行く店の予約を取ったりするのが仕事になる。
こうした前日までの仕事では、それほど大きな問題は発生しにくい。だがそれ以上に難しいのは、オフの当日、実際に参加者を仕切って動かしていく、という仕事である。
指揮を取る事、人を思い通りに動かす事、というのはとても難しい事だ。
思えば、かつて関東のオフの幹事を長らく務めていた祐子(AISU)という人は、とにかくこの仕切るという作業に対して、並々ならぬこだわりと熱意を持っていた人だったようだ。
彼女はオフを仕切ることに強い使命感を持っていたし、またその一方では、皆が自分の思い通りに動かないと嫌だという、ある種のワガママさも持っていた。
仕切るのが好きで仕切るを頑張る、彼女は仕切りの人だった。
今回関東オフを運営するに当たっては、俺は祐子のやり方を踏襲しなかった。
それは、まず俺は自分の指揮能力の限界を初めから分かっていたからだ。
20人という人数を、初めから終わりまで引き連れてきっちり滞りなく動かすのは、そもそも俺には無理だ、という前提の下にオフを考え始めた。
そして俺は、今回のオフの運営方針に自己責任というキーワードを掲げることに至ったのだ。
自己責任というのは、イラクの人質事件をきっかけに世に広まった言葉だ。手前のケツは手前で拭くということだ。
集合場所に自分の責任でちゃんと現れる、現れなかった人は置いていく、といった、ある意味当たり前なのだが、なかなか出来ないことを宣言することから始めた。放任主義宣言である。
仕切り屋の幹事であれば、自分で可能な限り参加メンバーの連絡先を調べて、集合場所に現れなかったメンバーに電話をかけたりして、どうにか自分の責任の下に全員を導けるように、とするところだろう。
俺の見てきた祐子という人は、そういう人だった。
俺は、人を導くということに関して、自分の力は祐子の力に及ばないことを知っていた。
そして、仕切り屋祐子をもってしても、20人級の大規模オフでは、参加者全員にケアは行き届かないことも。
幹事ができる以上のケアを引き受けて自滅するよりも、幹事のケアは行き届かないであろうということを初めから理解してもらってから、参加してもらう。
これが俺の考えたオフの姿だった。
究極的には、俺は要所だけしか仕切らない。仕切らずとも、皆が意識を持って動けば自然と成立していくオフを目指した。
昼飯の時間を自由行動の時間と位置づけたのも、放任主義の一つの形だった。
昼飯を食う場所は何も用意されてはいない。ただ、地図は持ってきたからレストランの場所は分かるだろう。さあ、食いに行け、と。
これは、オフとしてベストではないだろう。
だが、幹事が集団をぞろぞろと引き連れていって結局行き詰る危険に比べれば、ベターな選択だったと考えている。
(当初予定に無かった、夜行組を迎えに行ってそのまま朝食を食うという段では、この方針が徹底されていなかったために、まさに行き詰まってしまっていた。)
なお、この運営方針を結果的に一番よく理解してくれ、俺の構想したような動きをしてくれたのは、集合時間直前に断りも無く秋葉原に行き、昼食時はbasaraたちがラーメン屋に入った時にはその店で既に食い終わりなぜか一人でゆで卵を食っていたという、ひとみちゃんことhtmだった。
アキバに行っても、ちゃんと自己責任で集合時間には間に合ってくれていたところまで含め、ひとみちゃんにはブラボーと言いたい。
俺にとっては、実質的には初めて幹事を務めることになったと言えるオフだった。
今日から数日間にわたって、オフ会についての様々な考察を書き記していきたいと思う。
まず、自分の務めた幹事という仕事について、改めて考え直してみたい。
幹事とは何をする人間か。
それはオフ会を運営する人間だ。
オフの前までには計画を立てたり、告知して参加を呼びかけたり、当日行く店の予約を取ったりするのが仕事になる。
こうした前日までの仕事では、それほど大きな問題は発生しにくい。だがそれ以上に難しいのは、オフの当日、実際に参加者を仕切って動かしていく、という仕事である。
指揮を取る事、人を思い通りに動かす事、というのはとても難しい事だ。
思えば、かつて関東のオフの幹事を長らく務めていた祐子(AISU)という人は、とにかくこの仕切るという作業に対して、並々ならぬこだわりと熱意を持っていた人だったようだ。
彼女はオフを仕切ることに強い使命感を持っていたし、またその一方では、皆が自分の思い通りに動かないと嫌だという、ある種のワガママさも持っていた。
仕切るのが好きで仕切るを頑張る、彼女は仕切りの人だった。
今回関東オフを運営するに当たっては、俺は祐子のやり方を踏襲しなかった。
それは、まず俺は自分の指揮能力の限界を初めから分かっていたからだ。
20人という人数を、初めから終わりまで引き連れてきっちり滞りなく動かすのは、そもそも俺には無理だ、という前提の下にオフを考え始めた。
そして俺は、今回のオフの運営方針に自己責任というキーワードを掲げることに至ったのだ。
自己責任というのは、イラクの人質事件をきっかけに世に広まった言葉だ。手前のケツは手前で拭くということだ。
集合場所に自分の責任でちゃんと現れる、現れなかった人は置いていく、といった、ある意味当たり前なのだが、なかなか出来ないことを宣言することから始めた。放任主義宣言である。
仕切り屋の幹事であれば、自分で可能な限り参加メンバーの連絡先を調べて、集合場所に現れなかったメンバーに電話をかけたりして、どうにか自分の責任の下に全員を導けるように、とするところだろう。
俺の見てきた祐子という人は、そういう人だった。
俺は、人を導くということに関して、自分の力は祐子の力に及ばないことを知っていた。
そして、仕切り屋祐子をもってしても、20人級の大規模オフでは、参加者全員にケアは行き届かないことも。
幹事ができる以上のケアを引き受けて自滅するよりも、幹事のケアは行き届かないであろうということを初めから理解してもらってから、参加してもらう。
これが俺の考えたオフの姿だった。
究極的には、俺は要所だけしか仕切らない。仕切らずとも、皆が意識を持って動けば自然と成立していくオフを目指した。
昼飯の時間を自由行動の時間と位置づけたのも、放任主義の一つの形だった。
昼飯を食う場所は何も用意されてはいない。ただ、地図は持ってきたからレストランの場所は分かるだろう。さあ、食いに行け、と。
これは、オフとしてベストではないだろう。
だが、幹事が集団をぞろぞろと引き連れていって結局行き詰る危険に比べれば、ベターな選択だったと考えている。
(当初予定に無かった、夜行組を迎えに行ってそのまま朝食を食うという段では、この方針が徹底されていなかったために、まさに行き詰まってしまっていた。)
なお、この運営方針を結果的に一番よく理解してくれ、俺の構想したような動きをしてくれたのは、集合時間直前に断りも無く秋葉原に行き、昼食時はbasaraたちがラーメン屋に入った時にはその店で既に食い終わりなぜか一人でゆで卵を食っていたという、ひとみちゃんことhtmだった。
アキバに行っても、ちゃんと自己責任で集合時間には間に合ってくれていたところまで含め、ひとみちゃんにはブラボーと言いたい。
最近、ポケネで大きな誤解を抱かれていることに気付く。
誤解というのは、ポポラが俺と何か揉め事があったときに、ポケネの人間に対してそれを話すことが多くなったために、
俺とポポラは不仲である、
と思われているケースがあるようなのだ。
それは違う。
俺は、これに関しては断固として否定しなければならない。
ポポラが俺との揉め事をしばしばポケネで語るのは、前の相手との経験から得た反省点を元に、カップル同士のトラブルが生じた場合には、他者の意見を仰ぎ、積極的に相談をするべきだという考えの元に動いているからである。
それゆえ、トラブルを相談された者達から見ると、俺達はいつもケンカをしているかのように錯覚するのだ。
実際には、そうではないのだ。
はっきり言えば、俺達はちょっとしたトラブルは多いものの、そうでない時には文句の付けようも無いほどにラブラブでアツアツの二人であるのだ。
不仲などとは、とんでもない話である。
ポポラ自身の弁によれば、TNTと付き合っていた頃には、むしろ俺よりもいっぱいケンカをしていたという。
決してトラブルが無かったわけでは無いのに、ポケネの人間はそのトラブルについて察してはくれなかった。
例えば、こてこてなどは、ポポラが「TNTが相手をしてくれなくて寂しい」と話したときには、
「TNTにも事情がある。我慢して待て」というような事を言ったそうだ。
そのあたり、ポケネの人間にはポポラとTNTの間に抱えていた問題に気付かなかったということの現われであろう。
それ故、ポポラは現在ではポケネに対して俺との問題を包み隠さず話すようになったのだ。
ポケネでは基本的に、そんなの言わなくたって分かるだろ?などという物は存在しない。
誰かがはっきりと言葉で表して説明するまで、誰一人として察してはくれないのだ。
それは、ポポラとTNTのトラブルを察してくれなかったということでもあり、そして俺とポポラがラブラブであるということを察してくれていないということでもある。
そう、ポケネは俺が指摘するまで、ロコンの天気予報はくだらないという事さえ、認識しているのかいないのか、曖昧な状況のまま棚上げされていたではないか。
ポポラとの不仲を疑われる事は、俺にとって重大な問題をはらんでいる。
それは、ならばお面とはさっさと別れればよい、お面切るべしという世論がポケネの中に出来上がる危険性である。
それは俺が問題にしている派閥の構造に他ならない。
言わなければ分からないことならば、はっきりと言うしかあるまい。
俺とポポラはラブラブである、ということを。
誤解というのは、ポポラが俺と何か揉め事があったときに、ポケネの人間に対してそれを話すことが多くなったために、
俺とポポラは不仲である、
と思われているケースがあるようなのだ。
それは違う。
俺は、これに関しては断固として否定しなければならない。
ポポラが俺との揉め事をしばしばポケネで語るのは、前の相手との経験から得た反省点を元に、カップル同士のトラブルが生じた場合には、他者の意見を仰ぎ、積極的に相談をするべきだという考えの元に動いているからである。
それゆえ、トラブルを相談された者達から見ると、俺達はいつもケンカをしているかのように錯覚するのだ。
実際には、そうではないのだ。
はっきり言えば、俺達はちょっとしたトラブルは多いものの、そうでない時には文句の付けようも無いほどにラブラブでアツアツの二人であるのだ。
不仲などとは、とんでもない話である。
ポポラ自身の弁によれば、TNTと付き合っていた頃には、むしろ俺よりもいっぱいケンカをしていたという。
決してトラブルが無かったわけでは無いのに、ポケネの人間はそのトラブルについて察してはくれなかった。
例えば、こてこてなどは、ポポラが「TNTが相手をしてくれなくて寂しい」と話したときには、
「TNTにも事情がある。我慢して待て」というような事を言ったそうだ。
そのあたり、ポケネの人間にはポポラとTNTの間に抱えていた問題に気付かなかったということの現われであろう。
それ故、ポポラは現在ではポケネに対して俺との問題を包み隠さず話すようになったのだ。
ポケネでは基本的に、そんなの言わなくたって分かるだろ?などという物は存在しない。
誰かがはっきりと言葉で表して説明するまで、誰一人として察してはくれないのだ。
それは、ポポラとTNTのトラブルを察してくれなかったということでもあり、そして俺とポポラがラブラブであるということを察してくれていないということでもある。
そう、ポケネは俺が指摘するまで、ロコンの天気予報はくだらないという事さえ、認識しているのかいないのか、曖昧な状況のまま棚上げされていたではないか。
ポポラとの不仲を疑われる事は、俺にとって重大な問題をはらんでいる。
それは、ならばお面とはさっさと別れればよい、お面切るべしという世論がポケネの中に出来上がる危険性である。
それは俺が問題にしている派閥の構造に他ならない。
言わなければ分からないことならば、はっきりと言うしかあるまい。
俺とポポラはラブラブである、ということを。
男へ
2004年7月6日オーケー。
まあ落ち着け。
この日記を読んでいる人間の中の約2名ほどに、言いたいことがある。
男の性の卑劣さに怒るのは何故か。
それは、女というものは男の性の暴力に晒されているものだから。
だから、男は女を守らねばならない。
分かった。ここまでは分かった。
つまりはあれだ。
お前らはフェミニストなんだろう。
だがな。
俺は認めないぞ。
避 妊 も し な い 男 が 語 る フ ェ ミ ニ ズ ム な ど !
お前の行為が、既に女への重大な暴力になり得るものであることを認識しろ!
つべこべ言わずにまずはコンドームを買いに行け!
はっきり言って、お前らが後生大事に抱えている愛だ恋だといった概念に何の意味も無いのだ。
愛があるか無いかよりも、
ゴムを付けているかいないかの方が、
よっぽど重要なんだよォッ
そんな男のフェミニズムは偽善だ!
片腹痛い!
まあ落ち着け。
この日記を読んでいる人間の中の約2名ほどに、言いたいことがある。
男の性の卑劣さに怒るのは何故か。
それは、女というものは男の性の暴力に晒されているものだから。
だから、男は女を守らねばならない。
分かった。ここまでは分かった。
つまりはあれだ。
お前らはフェミニストなんだろう。
だがな。
俺は認めないぞ。
避 妊 も し な い 男 が 語 る フ ェ ミ ニ ズ ム な ど !
お前の行為が、既に女への重大な暴力になり得るものであることを認識しろ!
つべこべ言わずにまずはコンドームを買いに行け!
はっきり言って、お前らが後生大事に抱えている愛だ恋だといった概念に何の意味も無いのだ。
愛があるか無いかよりも、
ゴムを付けているかいないかの方が、
よっぽど重要なんだよォッ
そんな男のフェミニズムは偽善だ!
片腹痛い!
6月29日の日記
2004年6月29日本当はもっといっぱい書きたいことがあるのだが。
どうにもこれから忙しくなりそうだ。
ポケネには、やはり小説よりも言論が必要だと思う。
そして、それは俺一人でやっているべきものではなく、広く議論されなければならない。
そのうち、ポケネ対談集みたいなものを始めてみようかと思う。
俺一人で言うのではなく、誰かと一緒に語って、ポケネの真実に迫ってみるという手法が試したい。
なにより、俺一人ではなく誰か他の人とというのであれば、周りの人間も、一方的に無視するわけにはいかなくなるであろうから。
どうにもこれから忙しくなりそうだ。
ポケネには、やはり小説よりも言論が必要だと思う。
そして、それは俺一人でやっているべきものではなく、広く議論されなければならない。
そのうち、ポケネ対談集みたいなものを始めてみようかと思う。
俺一人で言うのではなく、誰かと一緒に語って、ポケネの真実に迫ってみるという手法が試したい。
なにより、俺一人ではなく誰か他の人とというのであれば、周りの人間も、一方的に無視するわけにはいかなくなるであろうから。
ポケネの派閥体質について俺が散々批判を加えているのは周知の事実なのだが、その一方で俺は、ポケネでオフ会の一つでもやりたいのならば、やはり大勢でやらねば何もできないだろうなとも思っている。
一人でぐたぐたと理屈を捏ねていても何にもならず、やはり派閥に抗うためには自身も拠り所となる派閥を持たねば、と思う。
発端は今年の正月だった。
零が気紛れにも俺に年賀状を送ってきたのである。
それをきっかけに零とメールのやり取りをするようになった俺は、彼女がこの春、千葉の短大に通うために上京してくる事を知る。
このとき、俺の中に一つの構想が浮かぶ。
零の影響力を持ってすれば、祐子がポケネから撤退して以来空白地帯となっていた東京近辺で、オフラインに影響力を持つ派閥が立ち上げられるのではないか、と。
ポケネ関東オフ再興の切り札、番長・零が誕生した瞬間であった。
さて、その番長軍団であるが、具体的にはどのような布陣になるのか。
まず、零の側近としてのらら。
下僕の代名詞、俊彦。
零にとって最も信頼の置ける相談役であろうpupu。
千葉在住という地の利もあり、そろそろオフに参加する事がさほど難しい年齢でもなくなってきたBAGIRA。
それに合わせるように、また零個人とのコネクションもあったヴァイエイト。
零のコネクションはCUCにも及ぶGエンペラー。
蛞蝓@蝸牛の名も挙げることができるだろう。
ここら辺までが零が元から持っていた人脈であり、俺はここに、俺と同じく関東オフ再興を目指していたbasaraを合流させた。
ポッポ博士の台頭は、このbasaraの功績による所が大きい。
魅力的なラインナップである。
どこが魅力的って、チームワークが全然取れてなさそうな所が魅力的なのだ。
上に名前を挙げた人間の半数以上が、他の人間と派閥として一括りにされる事を嫌うであろうことが容易に想像できる。
だが、それがいい。
従来のポケネを支配していた、派閥の正義とも呼べるような、派閥内に共通して流れる思想を、端から持ち合わせていない寄り合い集団だからこそ、派閥の正義を否定し続ける俺の理想に近い。
誰もが、誰もを綺麗な存在だとこれっぽっちも思っていない集団こそ、小綺麗な正義を駆逐することができる。
一人でぐたぐたと理屈を捏ねていても何にもならず、やはり派閥に抗うためには自身も拠り所となる派閥を持たねば、と思う。
発端は今年の正月だった。
零が気紛れにも俺に年賀状を送ってきたのである。
それをきっかけに零とメールのやり取りをするようになった俺は、彼女がこの春、千葉の短大に通うために上京してくる事を知る。
このとき、俺の中に一つの構想が浮かぶ。
零の影響力を持ってすれば、祐子がポケネから撤退して以来空白地帯となっていた東京近辺で、オフラインに影響力を持つ派閥が立ち上げられるのではないか、と。
ポケネ関東オフ再興の切り札、番長・零が誕生した瞬間であった。
さて、その番長軍団であるが、具体的にはどのような布陣になるのか。
まず、零の側近としてのらら。
下僕の代名詞、俊彦。
零にとって最も信頼の置ける相談役であろうpupu。
千葉在住という地の利もあり、そろそろオフに参加する事がさほど難しい年齢でもなくなってきたBAGIRA。
それに合わせるように、また零個人とのコネクションもあったヴァイエイト。
零のコネクションはCUCにも及ぶGエンペラー。
蛞蝓@蝸牛の名も挙げることができるだろう。
ここら辺までが零が元から持っていた人脈であり、俺はここに、俺と同じく関東オフ再興を目指していたbasaraを合流させた。
ポッポ博士の台頭は、このbasaraの功績による所が大きい。
魅力的なラインナップである。
どこが魅力的って、チームワークが全然取れてなさそうな所が魅力的なのだ。
上に名前を挙げた人間の半数以上が、他の人間と派閥として一括りにされる事を嫌うであろうことが容易に想像できる。
だが、それがいい。
従来のポケネを支配していた、派閥の正義とも呼べるような、派閥内に共通して流れる思想を、端から持ち合わせていない寄り合い集団だからこそ、派閥の正義を否定し続ける俺の理想に近い。
誰もが、誰もを綺麗な存在だとこれっぽっちも思っていない集団こそ、小綺麗な正義を駆逐することができる。
まあ、何で最近日記を書かないかというと、理由としては
とまあ、そのような理由によるものなのですが、最近またやはりまだ書かねばなあと思うことも増えてきたので、ぼちぼち書いていこうと思います。
それでネタなのだが、更新してない間に既に旬を過ぎてしまった感もあるが、一頃ポケネの裏で毎晩のように開かれていたメッセ会。
これについて一言書いておこうと思う。
まあ、メッセも大勢でやれば多人数チャットとして機能するわけで、会話をするという作業自体はポケネでする事と大差が無いわけである。
ただ、メッセ会の場合、ポケネで話すことと何が違うかといえば、自分が登録してある人間を会話に招待する事ができるという点なのだが、この招待というのが曲者だった。
メッセが普及する事であまりチャットに行かなくなったという住人もいるように、メッセの場合は任意の相手とチャットができるわけで、メッセ会であれば、既にポケネに来なくなった住人をそこに招待する事もできるわけだ。
ある意味、旧常連と旧交を温める機会でもあるわけなのだが、問題はその旧常連が果たしてそのメッセ会に参加したがっているかどうかな訳である。
そもそも、メッセ会のようにポケネ住人が集まる会話の場に参加したがっているような人だったら、呼び出すまでも無くポケネに居る筈だ。
ポケネに居ないという事は、それはポケネ住人と話す事を望んでいないという事であり、従ってメッセ会に呼んでもありがた迷惑であるという事は想像に難くない。
もちろん、招待された人間が楽しんでくれているようならそれで良いのだが、そうでないケースも起こり得た……と言うよりも、基本的にはそうでないケースの方が多かったと考えた方が良かったのではないか。
呼び出された人間がそれを望んでいるのか、また、これから呼び出す人間と、今参加している人間との人間関係に何か問題は無いか。
そういう事が量れない人間がメッセ会をやりたがって参加者を招待しまくったら不興を買うことは請け合いだ。
要するに、あのメッセ会ブームに関して俺が最も強く印象として感じた事は、ムーンライトはもっと空気を読めということなのだが。
メッセ会に一度もねむねむが招待されなかったのは、俺に対する配慮ではなかっただろう。
ムーンライトにそんなデリカシーは感じられない。
単純にムーンライトがねむねむのメッセアドレスを登録していなかったことが原因と考えられる。
1.
俺にとって一番大きなねむ問題について概ね言いたい事は言ったので、他にはあまりどうしても言いたいと言う事が思いつかなくなった
2.
地上最萌トーナメントばっかり書いてるんで、そっちに労力を注いでブラックポケネショーを書き進めるモチベーションが低下していた
3.
ぽぽりんとハチミツトークしてた
とまあ、そのような理由によるものなのですが、最近またやはりまだ書かねばなあと思うことも増えてきたので、ぼちぼち書いていこうと思います。
それでネタなのだが、更新してない間に既に旬を過ぎてしまった感もあるが、一頃ポケネの裏で毎晩のように開かれていたメッセ会。
これについて一言書いておこうと思う。
まあ、メッセも大勢でやれば多人数チャットとして機能するわけで、会話をするという作業自体はポケネでする事と大差が無いわけである。
ただ、メッセ会の場合、ポケネで話すことと何が違うかといえば、自分が登録してある人間を会話に招待する事ができるという点なのだが、この招待というのが曲者だった。
メッセが普及する事であまりチャットに行かなくなったという住人もいるように、メッセの場合は任意の相手とチャットができるわけで、メッセ会であれば、既にポケネに来なくなった住人をそこに招待する事もできるわけだ。
ある意味、旧常連と旧交を温める機会でもあるわけなのだが、問題はその旧常連が果たしてそのメッセ会に参加したがっているかどうかな訳である。
そもそも、メッセ会のようにポケネ住人が集まる会話の場に参加したがっているような人だったら、呼び出すまでも無くポケネに居る筈だ。
ポケネに居ないという事は、それはポケネ住人と話す事を望んでいないという事であり、従ってメッセ会に呼んでもありがた迷惑であるという事は想像に難くない。
もちろん、招待された人間が楽しんでくれているようならそれで良いのだが、そうでないケースも起こり得た……と言うよりも、基本的にはそうでないケースの方が多かったと考えた方が良かったのではないか。
呼び出された人間がそれを望んでいるのか、また、これから呼び出す人間と、今参加している人間との人間関係に何か問題は無いか。
そういう事が量れない人間がメッセ会をやりたがって参加者を招待しまくったら不興を買うことは請け合いだ。
要するに、あのメッセ会ブームに関して俺が最も強く印象として感じた事は、ムーンライトはもっと空気を読めということなのだが。
メッセ会に一度もねむねむが招待されなかったのは、俺に対する配慮ではなかっただろう。
ムーンライトにそんなデリカシーは感じられない。
単純にムーンライトがねむねむのメッセアドレスを登録していなかったことが原因と考えられる。
6月4日の日記
2004年6月4日こんにちは。
小6殺人事件の子がクラスメイト使ってバトルロワイヤル書いてたとかいう報道が愉快で愉快でたまらない、そんな僕です。
まあ、なんつーか一応答えておきますと、日記のタイトルってそこまで深い意味は無いです。
こういうタイトルだったらセンセーショナルで、みんな食いついてくるんじゃないかという目論見で付けてるだけです。
まあ、タイトルのおかげでは無いかもしれないけれど、目論見通り、割と多くの人が噛み付いてきたわけなんですけど。
いや、何ていうか、俺に対して噛み付くのは旨み少ないですよ、と。
泥仕合になった結果、噛み付いた人の方が俺よりも失うものが多いのは明らかなんで。
そのうち、その辺の事も検証してみようと思いますが。
もう、怒ってる人面白すぎる!
小6殺人事件の子がクラスメイト使ってバトルロワイヤル書いてたとかいう報道が愉快で愉快でたまらない、そんな僕です。
まあ、なんつーか一応答えておきますと、日記のタイトルってそこまで深い意味は無いです。
こういうタイトルだったらセンセーショナルで、みんな食いついてくるんじゃないかという目論見で付けてるだけです。
まあ、タイトルのおかげでは無いかもしれないけれど、目論見通り、割と多くの人が噛み付いてきたわけなんですけど。
いや、何ていうか、俺に対して噛み付くのは旨み少ないですよ、と。
泥仕合になった結果、噛み付いた人の方が俺よりも失うものが多いのは明らかなんで。
そのうち、その辺の事も検証してみようと思いますが。
もう、怒ってる人面白すぎる!
前回に引き続き、ねむねむの問題について語る。
俺は、ねむねむに対し次の3つを要求をした。
1.こちらの指定した日時、場所に保護者と共に赴き、口頭で謝罪する
2.ホームページで、本名記名の謝罪文を掲載する
3.ねむねむの通っている高校に指導をお願いする
当初、ねむねむは2.の条件については従う姿勢を見せた。
しかし、その条件としてこちらの本名を出すのだからそちらの本名も教えて欲しいという事を言ってきた。
それについては、俺としても異存は無かった。
むしろ、俺の住所も教えるからそちらの住所も教えろという事を伝えた。
俺は、上記の要求内容を抗議文という形で纏めて、ねむねむの保護者に郵便で送るつもりだったからである。
ねむねむが未成年で十分に責任を果たす事が出来ない以上、代わりに果たすべき所に話を持っていくのは当たり前の事だというのが俺の考えだ。
学校についても同様の考えで、高校が教育機関である以上、校外で起こった事件とはいえ、生徒の行動に問題があったならば、その生徒に対して指導を行うのは学校としての当然の責務ではないか。
以上のことをねむねむに伝えたところ、彼は驚くべき回答を返してきた。
俺は、怒りを通り越して笑った。
こんな理屈があるか!w
あっても通るものか!w
この期に及んで、俺を強姦魔だと言ってないとのたまっているのである。
当時の文脈を考えれば、宛名が無かろうが強姦魔呼ばわりされているのが俺以外であろうはずも無く、この主張が噴飯ものであることはもはや説明の必要さえ無いはずだ。
むしろ、名指しで言うことを避けていたという事がさらに狡猾に映るくらいだ。
さらに、万が一ねむねむが本気で俺のことを強姦魔だと言ったつもりが無かったのだと仮定したとすれば、先に言ったホームページ上での謝罪には応じてもいいというのは、一体何について謝罪するつもりだったのだろうか。
強姦魔呼ばわりした事を謝罪しろと言われて謝るのに、強姦魔呼ばわりはしていないと主張するとは、これ如何に?
ねむねむは、謝罪や反省という言葉の意味を知っているのだろうか。
真剣に、一度辞書を引いてみる事をお勧めする。
さて、皆さんは、それでも当時の派閥に正義はあったと思えますか?
俺は、ねむねむに対し次の3つを要求をした。
1.こちらの指定した日時、場所に保護者と共に赴き、口頭で謝罪する
2.ホームページで、本名記名の謝罪文を掲載する
3.ねむねむの通っている高校に指導をお願いする
当初、ねむねむは2.の条件については従う姿勢を見せた。
しかし、その条件としてこちらの本名を出すのだからそちらの本名も教えて欲しいという事を言ってきた。
それについては、俺としても異存は無かった。
むしろ、俺の住所も教えるからそちらの住所も教えろという事を伝えた。
俺は、上記の要求内容を抗議文という形で纏めて、ねむねむの保護者に郵便で送るつもりだったからである。
ねむねむが未成年で十分に責任を果たす事が出来ない以上、代わりに果たすべき所に話を持っていくのは当たり前の事だというのが俺の考えだ。
学校についても同様の考えで、高校が教育機関である以上、校外で起こった事件とはいえ、生徒の行動に問題があったならば、その生徒に対して指導を行うのは学校としての当然の責務ではないか。
以上のことをねむねむに伝えたところ、彼は驚くべき回答を返してきた。
日記で一度も「お面は強姦魔だ!!」なんて書いてない
強姦魔の記述のところで、一回もお面の名前は出していない
俺は、怒りを通り越して笑った。
こんな理屈があるか!w
あっても通るものか!w
この期に及んで、俺を強姦魔だと言ってないとのたまっているのである。
当時の文脈を考えれば、宛名が無かろうが強姦魔呼ばわりされているのが俺以外であろうはずも無く、この主張が噴飯ものであることはもはや説明の必要さえ無いはずだ。
むしろ、名指しで言うことを避けていたという事がさらに狡猾に映るくらいだ。
さらに、万が一ねむねむが本気で俺のことを強姦魔だと言ったつもりが無かったのだと仮定したとすれば、先に言ったホームページ上での謝罪には応じてもいいというのは、一体何について謝罪するつもりだったのだろうか。
強姦魔呼ばわりした事を謝罪しろと言われて謝るのに、強姦魔呼ばわりはしていないと主張するとは、これ如何に?
ねむねむは、謝罪や反省という言葉の意味を知っているのだろうか。
真剣に、一度辞書を引いてみる事をお勧めする。
さて、皆さんは、それでも当時の派閥に正義はあったと思えますか?
他人を、あいつはレイプ犯だと呼ばわったら、それは当然名誉毀損や侮辱罪に該当する行為だ。
俺は、かつてねむねむらポケネ関係者からレイプ犯だと呼ばわれた事がある。
それによると、俺は二重人格の女と行為に及んだのだが、その二つの人格のうちの一方の人格は俺の事が好きだったが、もう一方の人格は俺の事が嫌いで、その俺の事が嫌いな方の人格になっている時に行為に及んだから、俺はレイプ犯なのだそうだ。
この漫画のような話、荒唐無稽である。
トンデモ説、あるいは電波説と言っても差し支えない。
つい先ごろ、ねむねむにこの件について謝罪するように追及したら、ねむねむは次のような釈明をした。
「十分な情報も無いのに強姦魔だと言ってしまったのはこちらが悪かった」と。
この釈明は成り立つだろうか?
俺は言いたい。情報は十分にあった。
その情報とは、そちらが俺を強姦魔だと言う根拠にした漫画のようなウソ臭い説である。
そんな説が強姦魔説の情報ソースである以上、常識ある人ならば、俺が強姦をしたのかどうかを大いに疑うのは当然ではないか。
むしろ問題は、「強姦魔だと断じるには情報が不十分であった」ことよりも、「どうしてそんな誰の眼にも不十分な情報で強姦魔だと断じるに至ったか」だろう。
それこそ、俺がこの日記で再三書いている派閥の思想の本質である。
実際の所、本当に俺が強姦魔であるという十分な証拠があるかどうかは、ねむねむらには関係が無かったのである。
彼らにとって重要なのは、派閥にとって敵=悪であると認知された俺を徹底的に攻撃することであり、それさえ出来れば強姦魔だろうが殺人鬼だろうが、何でも良かったのだ。
悪人に人権は無いとはよく言ったものだが、派閥から悪だと認識された人間に対しては、強姦魔だと呼ばわる事さえも正義になるのである。
当然のことながら、俺はこのような正義を認めるわけにはいかないし、今後とも誠意ある謝罪を要求し続ける。
俺は、かつてねむねむらポケネ関係者からレイプ犯だと呼ばわれた事がある。
それによると、俺は二重人格の女と行為に及んだのだが、その二つの人格のうちの一方の人格は俺の事が好きだったが、もう一方の人格は俺の事が嫌いで、その俺の事が嫌いな方の人格になっている時に行為に及んだから、俺はレイプ犯なのだそうだ。
この漫画のような話、荒唐無稽である。
トンデモ説、あるいは電波説と言っても差し支えない。
つい先ごろ、ねむねむにこの件について謝罪するように追及したら、ねむねむは次のような釈明をした。
「十分な情報も無いのに強姦魔だと言ってしまったのはこちらが悪かった」と。
この釈明は成り立つだろうか?
俺は言いたい。情報は十分にあった。
その情報とは、そちらが俺を強姦魔だと言う根拠にした漫画のようなウソ臭い説である。
そんな説が強姦魔説の情報ソースである以上、常識ある人ならば、俺が強姦をしたのかどうかを大いに疑うのは当然ではないか。
むしろ問題は、「強姦魔だと断じるには情報が不十分であった」ことよりも、「どうしてそんな誰の眼にも不十分な情報で強姦魔だと断じるに至ったか」だろう。
それこそ、俺がこの日記で再三書いている派閥の思想の本質である。
実際の所、本当に俺が強姦魔であるという十分な証拠があるかどうかは、ねむねむらには関係が無かったのである。
彼らにとって重要なのは、派閥にとって敵=悪であると認知された俺を徹底的に攻撃することであり、それさえ出来れば強姦魔だろうが殺人鬼だろうが、何でも良かったのだ。
悪人に人権は無いとはよく言ったものだが、派閥から悪だと認識された人間に対しては、強姦魔だと呼ばわる事さえも正義になるのである。
当然のことながら、俺はこのような正義を認めるわけにはいかないし、今後とも誠意ある謝罪を要求し続ける。
あなたが電車の中で、抱き合ったりキスをしたりする、いわゆるバカップルに乗り合わせたらどういう印象を抱くだろう。
おそらくは、目障りだとか、キモいとか、そういった否定的な印象を受けるに違いない。
「チッ…」と舌打ちしたりもするだろう。
そういうことでそのカップルは馬鹿と呼ばれるのであり、それゆえ『バカップル』という言葉は蔑称である。
ところが、ポケネにおけるバカップルとなるとそうはならない。
元はと言えば第三世代初期にポポラやららあたりがもたらしたポケネ文化であろうが、ポケネには独特のバカップル優待みたいなものがある。
そこはまあチャットであるから、現実に目の前でベタベタされる時のヴィジュアル的なウザさの有無という点の違いもあるのだろうが、それを差し引いてもポケネにおいてバカップルは優遇されていると言えると思う。
ポケネでは、公衆の面前でいちゃつくという行為に対し、周囲の反応は寛容なものである。
一般では「チッ…」が当然のところが、ポケネでの反応は「ひゅ〜ひゅ〜♪」になるのである。
バカップルであることが、その者たちに「彼女のため」「彼のため」というチャットにおける存在意義、大義名分を与えることになる。
大体何をしても、その行動理由が彼女のため、なら許されるという、バカップルという名の一種の免罪符である。
そうなってくるとバカップルもバカップルの方で図々しくなるものである。
電車の中で見るバカップルは、周りが見えてなくてただ引っ付きたいから引っ付いているのだろう。
しかし、ポケネにおけるバカップルはその限りではない。
あれは他の人間に自分たちが情の深い人間だという事を見せつけるあざとい手法だ。
また、バカップルが大義名分を得ると、その場カップルの応援者(「ひゅ〜ひゅ〜♪」って言ってる者)も大義名分を得る。
突き詰めていけばこれもポケネ派閥論に繋がる。
だから、実際にそのカップルを祝福しているかどうかとかそんな事に関係なく、派閥的な建前の元にラブラブなバカップルに「ヒュ〜ヒュ〜♪」的な事を言う者はいるのである。
明らかに祝福していないであろうカップル、例えばどこかの略奪愛の果てに成立したカップルに対して「ヒュ〜ヒュ〜♪」的発言をする者は、派閥的な建前の元でしか己の正義を主張できないよっぽどの偽善者だけである。
おそらくは、目障りだとか、キモいとか、そういった否定的な印象を受けるに違いない。
「チッ…」と舌打ちしたりもするだろう。
そういうことでそのカップルは馬鹿と呼ばれるのであり、それゆえ『バカップル』という言葉は蔑称である。
ところが、ポケネにおけるバカップルとなるとそうはならない。
元はと言えば第三世代初期にポポラやららあたりがもたらしたポケネ文化であろうが、ポケネには独特のバカップル優待みたいなものがある。
そこはまあチャットであるから、現実に目の前でベタベタされる時のヴィジュアル的なウザさの有無という点の違いもあるのだろうが、それを差し引いてもポケネにおいてバカップルは優遇されていると言えると思う。
ポケネでは、公衆の面前でいちゃつくという行為に対し、周囲の反応は寛容なものである。
一般では「チッ…」が当然のところが、ポケネでの反応は「ひゅ〜ひゅ〜♪」になるのである。
バカップルであることが、その者たちに「彼女のため」「彼のため」というチャットにおける存在意義、大義名分を与えることになる。
大体何をしても、その行動理由が彼女のため、なら許されるという、バカップルという名の一種の免罪符である。
そうなってくるとバカップルもバカップルの方で図々しくなるものである。
電車の中で見るバカップルは、周りが見えてなくてただ引っ付きたいから引っ付いているのだろう。
しかし、ポケネにおけるバカップルはその限りではない。
あれは他の人間に自分たちが情の深い人間だという事を見せつけるあざとい手法だ。
また、バカップルが大義名分を得ると、その場カップルの応援者(「ひゅ〜ひゅ〜♪」って言ってる者)も大義名分を得る。
突き詰めていけばこれもポケネ派閥論に繋がる。
だから、実際にそのカップルを祝福しているかどうかとかそんな事に関係なく、派閥的な建前の元にラブラブなバカップルに「ヒュ〜ヒュ〜♪」的な事を言う者はいるのである。
明らかに祝福していないであろうカップル、例えばどこかの略奪愛の果てに成立したカップルに対して「ヒュ〜ヒュ〜♪」的発言をする者は、派閥的な建前の元でしか己の正義を主張できないよっぽどの偽善者だけである。
新企画宣伝
2004年5月21日最近、こういうのを書いてる。
↓↓↓
http://www.geocities.jp/blackhurry/tn1.htm
ポケネ地上最萌トーナメント。
ブラックポケネショー共々よろしくお願いします。
あと、俺はLokiに残留。
移住組よサラバ。
↓↓↓
http://www.geocities.jp/blackhurry/tn1.htm
ポケネ地上最萌トーナメント。
ブラックポケネショー共々よろしくお願いします。
あと、俺はLokiに残留。
移住組よサラバ。
言わずと知れた番長。
零である。
もはや、この日記で未だに零について詳しく言及していない事自体が不自然でさえある。
俺が、というより俺以外でも、現在、関東地区のポケネで何かやろうと思った場合、零の力を借りる以外に大掛かりな仕掛けは何も打てない。
零自身が何か大掛かりな企画を提案したりしたケースは今のところ無いが、祐子亡き今、零以外にそれが出来る人間は皆無である。
だから、零は神輿だ。
他の人間が担がねば動かす事は出来ないし、また逆に言えば神輿がそこにあることで担ぎ手を集める事も出来る。
その点、自ら作って自らの裁量で舵を取った祐子のやり方とは対照的である。
では、零を担ぎ上げた結果作り出されるポケネ関東世界とはどのようなものか。
零を考える上で外せない要素がある。
エロである。
何はさておき、零はポケネのエロ女王である。これは、第三世代の、とか第五世代の、とか世代を限定しての一番ではなく、ポケネが生まれた日から、おそらく未来に至るまで、誰もその上を行く事が無いであろう空前絶後のエロさである。
零が君臨すると、ポケネはどんどんエロくなる。
原始、女性は太陽だったというが、零という名の太陽が照らすと皆エロくなる。ああそうか太陽の真ん中にもう一本線を
このままエロくなり続けると、そのうち誰か性犯罪を犯し始める奴がいないか心配になる。
と言っても俺を強姦魔だと言った奴には謝罪と賠償を要求するニダー
ともあれ、零の威力は新生関東勢の内外に影響力を及ぼし始めている事は間違いない。
零の存在に警戒を示している者もいる。
それを示す例を一つ挙げよう。
零が『星河を越えて』のmp3を欲しがっていた時、ぷらちな「俺持ってるよ」というような事を言ったのだそうな。
零はメッセを使ってファイルを送信してくれと10分近く言い続けていたのだが、最後までメッセアドレスを零に教えてはくれなかったそうだ。
これは、ぷらちなが零を敵性の人間だと認識している部分があったからではないか。
ぷらちなは言うまでも無く第三世代的ランス思想の持ち主である。
確かに、その構成員こそ第三、第四世代からポケネにいる住人たちではあるが、零という神輿を担ぐ祭りは旧来的なポケネの主流の思想とは一線を画した存在である。
これを、敢えて番長派と呼称したい。
もちろん、俺はポケネ第五世代の主流派となるであろう最有力候補こそがこの番長派だと思っている。
零である。
もはや、この日記で未だに零について詳しく言及していない事自体が不自然でさえある。
俺が、というより俺以外でも、現在、関東地区のポケネで何かやろうと思った場合、零の力を借りる以外に大掛かりな仕掛けは何も打てない。
零自身が何か大掛かりな企画を提案したりしたケースは今のところ無いが、祐子亡き今、零以外にそれが出来る人間は皆無である。
だから、零は神輿だ。
他の人間が担がねば動かす事は出来ないし、また逆に言えば神輿がそこにあることで担ぎ手を集める事も出来る。
その点、自ら作って自らの裁量で舵を取った祐子のやり方とは対照的である。
では、零を担ぎ上げた結果作り出されるポケネ関東世界とはどのようなものか。
零を考える上で外せない要素がある。
エロである。
何はさておき、零はポケネのエロ女王である。これは、第三世代の、とか第五世代の、とか世代を限定しての一番ではなく、ポケネが生まれた日から、おそらく未来に至るまで、誰もその上を行く事が無いであろう空前絶後のエロさである。
零が君臨すると、ポケネはどんどんエロくなる。
原始、女性は太陽だったというが、零という名の太陽が照らすと皆エロくなる。
このままエロくなり続けると、そのうち誰か性犯罪を犯し始める奴がいないか心配になる。
ともあれ、零の威力は新生関東勢の内外に影響力を及ぼし始めている事は間違いない。
零の存在に警戒を示している者もいる。
それを示す例を一つ挙げよう。
零が『星河を越えて』のmp3を欲しがっていた時、ぷらちな「俺持ってるよ」というような事を言ったのだそうな。
零はメッセを使ってファイルを送信してくれと10分近く言い続けていたのだが、最後までメッセアドレスを零に教えてはくれなかったそうだ。
これは、ぷらちなが零を敵性の人間だと認識している部分があったからではないか。
ぷらちなは言うまでも無く第三世代的ランス思想の持ち主である。
確かに、その構成員こそ第三、第四世代からポケネにいる住人たちではあるが、零という神輿を担ぐ祭りは旧来的なポケネの主流の思想とは一線を画した存在である。
これを、敢えて番長派と呼称したい。
もちろん、俺はポケネ第五世代の主流派となるであろう最有力候補こそがこの番長派だと思っている。
ポケネでアイドルと呼ばれた人。
零もららも十分にアイドルの要素はある。
F-lanceにしても、その代表曲、
『星河を越えて』を聞いたバサラをして「清純派アイドルだ」と言わしめた程の物だ。
だが、ポケネの中でもその歴史を通してアイドルと呼べる者を一人挙げるなら、俺はEVEの名を挙げたい。
古くは第二世代、あきの薫陶を受けた女性たちの中の一人であった。
第三世代初頭にけたろと俺とでEVEファンクラブを結成した懐かしい思い出もある。
京都在住という事で、彼女が高校生だった第三世代の間はオフでその姿を見るのは困難だったものの、ポケネでの好感度という意味では、当時の女性陣の中でも筆頭であったのではないだろうか。
零のような全開のお色気ではなく、程よく隠された色気というか、肝心なところを言わないあざとさ、狡さという点を、俺は当時「バランスの取れた悪人」とEVEを評した記憶がある。
作者はEVEを師匠などと呼んでいたりもしたのだが、今思えば女性にゴマをするのが上手かった作者らしい話だ。
さて、その実力派アイドルであったEVEなのだが、彼女の行動半径内である関西がオフの主流になった第四世代の頃には、既に花の色が移ろっていた感がある。
この頃になると、EVEはポケネでの役割を半ば終わらせかけていたのだ。
ポケネへの入室の機会が減ったというだけでなく、その威光が過去のものになり始めていた。
なんだかEVEがオバチャン化してきてしまったのである。
いや、勘違いしないで欲しいのはEVE本人は決してオバチャンになどなっていない。
第三世代の頃に名古屋で見た時よりも、今年の春休みに見た時の方が容姿もむしろ綺麗になっていたと言ってもいいし、トークも歌唱力も垢抜けたと感じる。
本人は衰えていなくとも、ポケネでの存在感がオバチャンになったのだ。
「もう二十歳になっちゃったんですがアイドルでいいんでしょうか?」みたいに加齢を自嘲してみた後で(二十歳ってまだまだ若いじゃないか!)、無理矢理「まだまだアイドル!」って改めて力んで見せたりしないで欲しい。
「伊代はまだ16だから〜♪」をギャグにし始めた頃の松本伊代みたいじゃないか。
アイドルは校長の屁を嗅いだりしない。頼むからヨゴレは止めてくれ。
春オフで「俺が煽ればEVEがアイドルとして返り咲く事も可能」なんて大口を叩いたはいいものの、本人が俺の予想を超えてオバチャン化していたために断念とか哀しすぎる。
EVEよ、老け込むにはまだ早すぎる。
零もららも十分にアイドルの要素はある。
F-lanceにしても、その代表曲、
『星河を越えて』を聞いたバサラをして「清純派アイドルだ」と言わしめた程の物だ。
だが、ポケネの中でもその歴史を通してアイドルと呼べる者を一人挙げるなら、俺はEVEの名を挙げたい。
古くは第二世代、あきの薫陶を受けた女性たちの中の一人であった。
第三世代初頭にけたろと俺とでEVEファンクラブを結成した懐かしい思い出もある。
京都在住という事で、彼女が高校生だった第三世代の間はオフでその姿を見るのは困難だったものの、ポケネでの好感度という意味では、当時の女性陣の中でも筆頭であったのではないだろうか。
零のような全開のお色気ではなく、程よく隠された色気というか、肝心なところを言わないあざとさ、狡さという点を、俺は当時「バランスの取れた悪人」とEVEを評した記憶がある。
作者はEVEを師匠などと呼んでいたりもしたのだが、今思えば女性にゴマをするのが上手かった作者らしい話だ。
さて、その実力派アイドルであったEVEなのだが、彼女の行動半径内である関西がオフの主流になった第四世代の頃には、既に花の色が移ろっていた感がある。
この頃になると、EVEはポケネでの役割を半ば終わらせかけていたのだ。
ポケネへの入室の機会が減ったというだけでなく、その威光が過去のものになり始めていた。
なんだかEVEがオバチャン化してきてしまったのである。
いや、勘違いしないで欲しいのはEVE本人は決してオバチャンになどなっていない。
第三世代の頃に名古屋で見た時よりも、今年の春休みに見た時の方が容姿もむしろ綺麗になっていたと言ってもいいし、トークも歌唱力も垢抜けたと感じる。
本人は衰えていなくとも、ポケネでの存在感がオバチャンになったのだ。
「もう二十歳になっちゃったんですがアイドルでいいんでしょうか?」みたいに加齢を自嘲してみた後で(二十歳ってまだまだ若いじゃないか!)、無理矢理「まだまだアイドル!」って改めて力んで見せたりしないで欲しい。
「伊代はまだ16だから〜♪」をギャグにし始めた頃の松本伊代みたいじゃないか。
アイドルは校長の屁を嗅いだりしない。頼むからヨゴレは止めてくれ。
春オフで「俺が煽ればEVEがアイドルとして返り咲く事も可能」なんて大口を叩いたはいいものの、本人が俺の予想を超えてオバチャン化していたために断念とか哀しすぎる。
EVEよ、老け込むにはまだ早すぎる。
たびたび触れているように、俺はポケネを捉えるのに、何か好意的にモノを語る時萌えという表現を用いる。
その中で、犬×和だとか、nika×晶だとか、男同士の所謂カップリングネタを展開するのだが、俺がこれらのネタを展開するのは同性愛的な嗜好からではない。
まあ、和紘がどうだかは知らんが。
多人数が同時に会話をするチャットゆえに、話題を振っている自分と、振られている相手の他にも、周囲にそれを聞いている傍観者という存在がある。
同人界で801などと呼ばれているこのようなカップリング、婉曲な表現を用いて女性向けと言い表される事がある。
これはポケネでも同様であり、つまり、801ネタは女性の傍観者に向けて発せられて初めて意味を持つものである。
萌えの消費者あってこその、萌えの生産者である。
客のいない舞台で漫才をやっても仕方があるまい。
例えば、ポケネの萌え系男性住人として既にお馴染みの和紘の場合、俺が仮想消費者として想定しているのが和紘と同じ関西勢の主力の一人である風野 翼である。
俺が和紘に対して萌えだ何だと言い出した頃から明らかに、ポケネにおける萌えの定義は狂っている。
和紘が萌えだと言うなら、もう何だって萌えじゃないかという話である。
断言しよう。定義は狂っていてもいいのだ。
特定の消費者さえ萌えを感じ取っていてくれれば、目的は果たせている。
そして、おそらく翼は和紘の受属性に萌えている。
翼といえば、注目したいのが彼女の日記のプロフィール欄に書かれている100の川柳である。
この100の川柳、翼は日記の中で
某人に100川柳が「エロい」といわれた翼です_| ̄|○
と書いているが、何を隠そう某人とは俺だ。
ただ、「エロい」と言ってしまうと俺が言いたいニュアンスから少しズレが生じる。
そう、「エロい」と言うよりも「エロスを感じる」と言ったところなのだ。
それは直接的なものではなく、真面目な翼が普段内面に押し込めている衝動的なものが、言葉になって発露しているような、そんな印象を受ける川柳である。
日記の内容も気を抜くと不意にエロスを発露し始めるぞ、要チェックだ。
100の川柳の中で俺が一番エロスを感じる一首はこれ。
↓↓↓
差し出すは 醜く踊る この躯(からだ)
その中で、犬×和だとか、nika×晶だとか、男同士の所謂カップリングネタを展開するのだが、俺がこれらのネタを展開するのは同性愛的な嗜好からではない。
まあ、和紘がどうだかは知らんが。
多人数が同時に会話をするチャットゆえに、話題を振っている自分と、振られている相手の他にも、周囲にそれを聞いている傍観者という存在がある。
同人界で801などと呼ばれているこのようなカップリング、婉曲な表現を用いて女性向けと言い表される事がある。
これはポケネでも同様であり、つまり、801ネタは女性の傍観者に向けて発せられて初めて意味を持つものである。
萌えの消費者あってこその、萌えの生産者である。
客のいない舞台で漫才をやっても仕方があるまい。
例えば、ポケネの萌え系男性住人として既にお馴染みの和紘の場合、俺が仮想消費者として想定しているのが和紘と同じ関西勢の主力の一人である風野 翼である。
俺が和紘に対して萌えだ何だと言い出した頃から明らかに、ポケネにおける萌えの定義は狂っている。
和紘が萌えだと言うなら、もう何だって萌えじゃないかという話である。
断言しよう。定義は狂っていてもいいのだ。
特定の消費者さえ萌えを感じ取っていてくれれば、目的は果たせている。
そして、おそらく翼は和紘の受属性に萌えている。
翼といえば、注目したいのが彼女の日記のプロフィール欄に書かれている100の川柳である。
この100の川柳、翼は日記の中で
某人に100川柳が「エロい」といわれた翼です_| ̄|○
と書いているが、何を隠そう某人とは俺だ。
ただ、「エロい」と言ってしまうと俺が言いたいニュアンスから少しズレが生じる。
そう、「エロい」と言うよりも「エロスを感じる」と言ったところなのだ。
それは直接的なものではなく、真面目な翼が普段内面に押し込めている衝動的なものが、言葉になって発露しているような、そんな印象を受ける川柳である。
日記の内容も気を抜くと不意にエロスを発露し始めるぞ、要チェックだ。
100の川柳の中で俺が一番エロスを感じる一首はこれ。
↓↓↓
差し出すは 醜く踊る この躯(からだ)
真紗を最近ポケネで見ない。
代わりに、Joseph(現・瑠架)を良く見かけるわけなのだが、Josephと真紗は付き合っているのだそうだが、真紗を見ていると、Josephの女性の好みが見えてきて非常に面白い。
真紗のポケネでの主な発言パターンは、「ROM→毒舌」である。
普段は黙っているかと思えば、ふと現れてはチクリチクリと嫌味を言う。
嫌味であるから、ポケネの萌えを積極的に発掘しようとしている俺から見ても、真紗は萌えない。
むしろJosephのほうが萌えるくらいだ。
これは由々しき問題である。女より男の方が萌えるのでは、何のためにコンパチキャラをやっているのかわからないではないか。
これでは、ベランダよりもジャーヴィスのほうが萌えるというに等しいではないか。
何故、真紗は毒舌キャラなのか。
それは、Josephがそういう女性が好みだからだからであろう。
真紗は萌えないと書いたが、それも、あのチクリチクリと痛めつけられる感覚が病みつきになってしまうという事もあるのかもしれない。
痛みに耐えることこそ愛。傷ついていく自分への自己陶酔。
心地よい痛みと言うべきか。(byラオウ)
要はマゾなのだろう。
いや、それは何も悪い事ではない。むしろバイセクシャルキャラとかさきっちょ露出狂キャラとか、ポケネにはそういう人たちが山ほどいるのだから。
考えてみれば、初期のJosephと言えば矢鱈にウザいウザい言われていたのだが、あれもそういうキャラだと割り切って見たら愛着が湧いてくるものかもしれない。
今後、Josephには小細工抜きで真紗を超える萌えを演じていってもらいたい。
良い意味でも、悪い意味でもウザい。
いや、普通はウザいに良い意味なんて無いのだけれど。
代わりに、Joseph(現・瑠架)を良く見かけるわけなのだが、Josephと真紗は付き合っているのだそうだが、真紗を見ていると、Josephの女性の好みが見えてきて非常に面白い。
真紗のポケネでの主な発言パターンは、「ROM→毒舌」である。
普段は黙っているかと思えば、ふと現れてはチクリチクリと嫌味を言う。
嫌味であるから、ポケネの萌えを積極的に発掘しようとしている俺から見ても、真紗は萌えない。
むしろJosephのほうが萌えるくらいだ。
これは由々しき問題である。女より男の方が萌えるのでは、何のためにコンパチキャラをやっているのかわからないではないか。
これでは、ベランダよりもジャーヴィスのほうが萌えるというに等しいではないか。
何故、真紗は毒舌キャラなのか。
それは、Josephがそういう女性が好みだからだからであろう。
真紗は萌えないと書いたが、それも、あのチクリチクリと痛めつけられる感覚が病みつきになってしまうという事もあるのかもしれない。
痛みに耐えることこそ愛。傷ついていく自分への自己陶酔。
心地よい痛みと言うべきか。(byラオウ)
要はマゾなのだろう。
いや、それは何も悪い事ではない。むしろバイセクシャルキャラとか
考えてみれば、初期のJosephと言えば矢鱈にウザいウザい言われていたのだが、あれもそういうキャラだと割り切って見たら愛着が湧いてくるものかもしれない。
今後、Josephには小細工抜きで真紗を超える萌えを演じていってもらいたい。
良い意味でも、悪い意味でもウザい。
いや、普通はウザいに良い意味なんて無いのだけれど。
ポケネ第四世代では、和紘ら鉄道四天王の台頭が極めて大きな意味を持っていることは既に何度も述べている。
だが、ポケネの鉄道マニアと言えば決して忘れる事のできない男が一人いる。
たてである。
たては第四世代の頃は既にポケネからは離れてしまっていたのだが、もしたてが第四世代にいたとしたら、旅好きな彼のことであるから、きっと関西オフにも参加していたであろうし、和紘ならばたての参加を是非もなく歓迎していただろう。
第四世代にたてがいたら、鉄道四天王は鉄道五天王になっていたかもしれない。
いや、むしろたては日本で唯一鉄道学科のある高校(俺には理解不能な世界だ)とやらに通っていたらしく、単なる鉄道ファンである鉄道四天王に対し、たては鉄道のセミプロであり、鉄道四天王よりもさらに一段上の存在、鉄道神となっていたかもしれない。
第二世代から第三世代に移行する頃、バサラが日帰りでスキーに行くオフを企画していた。
バサラは、当時たてを旧たっぷ派の影響力を受け継いでポケネの実権を握っていると思っていたらしく、それでたてを幹事に立ててこの計画を実行に移そうとしたのだが、不発に終わっている。
それはそうだ。まず、旧たっぷ派の影響力という時点で、確かにたっぷは第二世代に於いてポケネに少なからぬ影響力を与えてはいただろう。
しかし、それは本人持つ実行力であって、たっぷに付き従って行動したグループとなると、第二世代の頃からそういう勢力があったのかどうか甚だ疑問である。
まして、たてがその残党を率いていたとなると、これは問題外で、バサラの全くの勘違いであったと言わざるを得ない。
だって、たては鉄道神なのであるから。
鉄道以外のことに関して、たては何の力も、ポケネに対して及ぼしてはいないのである。
第二〜第三世代のオフに、たてはすさまじい出席率をもって参加していたが、オフ中の彼の存在感の微妙さを考えれば、バサラのような考えには至らないはずだ。バズーカみたいな望遠レンズの付いたものすごいカメラを持参したりとか、明らかにズレているではないか。
鉄道の神様に鉄道以外のことをお願いしたら、バチが当たるぞ。
もっとも、この時のバサラの企画は、企画自体に相当無理があったし、たてが幹事にならなくても不発に終わっていたような気はするが…。
だが、ポケネの鉄道マニアと言えば決して忘れる事のできない男が一人いる。
たてである。
たては第四世代の頃は既にポケネからは離れてしまっていたのだが、もしたてが第四世代にいたとしたら、旅好きな彼のことであるから、きっと関西オフにも参加していたであろうし、和紘ならばたての参加を是非もなく歓迎していただろう。
第四世代にたてがいたら、鉄道四天王は鉄道五天王になっていたかもしれない。
いや、むしろたては日本で唯一鉄道学科のある高校(俺には理解不能な世界だ)とやらに通っていたらしく、単なる鉄道ファンである鉄道四天王に対し、たては鉄道のセミプロであり、鉄道四天王よりもさらに一段上の存在、鉄道神となっていたかもしれない。
第二世代から第三世代に移行する頃、バサラが日帰りでスキーに行くオフを企画していた。
バサラは、当時たてを旧たっぷ派の影響力を受け継いでポケネの実権を握っていると思っていたらしく、それでたてを幹事に立ててこの計画を実行に移そうとしたのだが、不発に終わっている。
それはそうだ。まず、旧たっぷ派の影響力という時点で、確かにたっぷは第二世代に於いてポケネに少なからぬ影響力を与えてはいただろう。
しかし、それは本人持つ実行力であって、たっぷに付き従って行動したグループとなると、第二世代の頃からそういう勢力があったのかどうか甚だ疑問である。
まして、たてがその残党を率いていたとなると、これは問題外で、バサラの全くの勘違いであったと言わざるを得ない。
だって、たては鉄道神なのであるから。
鉄道以外のことに関して、たては何の力も、ポケネに対して及ぼしてはいないのである。
第二〜第三世代のオフに、たてはすさまじい出席率をもって参加していたが、オフ中の彼の存在感の微妙さを考えれば、バサラのような考えには至らないはずだ。バズーカみたいな望遠レンズの付いたものすごいカメラを持参したりとか、明らかにズレているではないか。
鉄道の神様に鉄道以外のことをお願いしたら、バチが当たるぞ。
もっとも、この時のバサラの企画は、企画自体に相当無理があったし、たてが幹事にならなくても不発に終わっていたような気はするが…。