まあ、以前KOUのことを書いたので、微妙に伝わってない部分があったかもしれないと思うので、もう一度書く。

フィーカスが日記に、お面はチャットの管理に付いて問題提起をしたというような事を書いているのだが、俺は、チャットの管理については、これといって問題にしているわけではないのだ。
「KOUの放置を責めるつもりじゃない」と書いているように、俺は管理放置自体に関して、それほど大きな問題とは思っていない。
フィーカスの言っているように、管理が無くても、「とりあえず話せれば良い」というチャットとしての機能は、ポケネは果たしているわけであるから。
ただ、俺が一体何を問題視しているかと言えば、それは住人内にある管理人像である。
管理人=正義という硬直した図式こそが、俺の問題意識の置き所であって、管理そのものは、前回書いたとおり「やってくれたらそれに越した事は無い」程度のものなのだ。

さらに言うならば、管理人=正義の図式の、さらに奥にある俺の問題意識というのは、ポケネの体質自体にあるのだ。
ポケネでは、誰の言っていることが正しいかよりも、誰の味方をしているかの方が、より重要とされる風潮があるからだ。
そして、実際に誰かの意見に擦り寄ることで自分の正義を維持している人には、あまりにもその体質への意識が希薄なのだ。
これは、その正義に対して相対する人間にとって、厳然たる大問題なのだ。
俺は、その体質が如実に現れている一例として、放置管理人の権威を挙げたに過ぎない。

バカップルの免罪符の話にしても、そして何より派閥論にしても、突き詰めて考えれば、このポケネの体質と向かい合うが故の意見である。
俺がここで書いている理論の多くは、そのポケネの体質改善を訴えたいと思う問題意識が根底にはあるのだ。

この問題と向かい合うのには、覚悟がいる。
俺の理論は、安易な馴れ合いは否定するものであるからだ。
とりあえず、ポケネで幅を利かせている誰かにくっ付いて行けば維持できるはずの自分の立場を、一旦捨て去らねばならないからだ。
俺は、たった一人でも、「幅を利かせている誰かとそれにくっ付いている一団」に立ち向かう。
権威に屈しないとはそういうことだ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

日記内を検索