ポケネのcommander
2004年8月11日オフ会が終わった。
俺にとっては、実質的には初めて幹事を務めることになったと言えるオフだった。
今日から数日間にわたって、オフ会についての様々な考察を書き記していきたいと思う。
まず、自分の務めた幹事という仕事について、改めて考え直してみたい。
幹事とは何をする人間か。
それはオフ会を運営する人間だ。
オフの前までには計画を立てたり、告知して参加を呼びかけたり、当日行く店の予約を取ったりするのが仕事になる。
こうした前日までの仕事では、それほど大きな問題は発生しにくい。だがそれ以上に難しいのは、オフの当日、実際に参加者を仕切って動かしていく、という仕事である。
指揮を取る事、人を思い通りに動かす事、というのはとても難しい事だ。
思えば、かつて関東のオフの幹事を長らく務めていた祐子(AISU)という人は、とにかくこの仕切るという作業に対して、並々ならぬこだわりと熱意を持っていた人だったようだ。
彼女はオフを仕切ることに強い使命感を持っていたし、またその一方では、皆が自分の思い通りに動かないと嫌だという、ある種のワガママさも持っていた。
仕切るのが好きで仕切るを頑張る、彼女は仕切りの人だった。
今回関東オフを運営するに当たっては、俺は祐子のやり方を踏襲しなかった。
それは、まず俺は自分の指揮能力の限界を初めから分かっていたからだ。
20人という人数を、初めから終わりまで引き連れてきっちり滞りなく動かすのは、そもそも俺には無理だ、という前提の下にオフを考え始めた。
そして俺は、今回のオフの運営方針に自己責任というキーワードを掲げることに至ったのだ。
自己責任というのは、イラクの人質事件をきっかけに世に広まった言葉だ。手前のケツは手前で拭くということだ。
集合場所に自分の責任でちゃんと現れる、現れなかった人は置いていく、といった、ある意味当たり前なのだが、なかなか出来ないことを宣言することから始めた。放任主義宣言である。
仕切り屋の幹事であれば、自分で可能な限り参加メンバーの連絡先を調べて、集合場所に現れなかったメンバーに電話をかけたりして、どうにか自分の責任の下に全員を導けるように、とするところだろう。
俺の見てきた祐子という人は、そういう人だった。
俺は、人を導くということに関して、自分の力は祐子の力に及ばないことを知っていた。
そして、仕切り屋祐子をもってしても、20人級の大規模オフでは、参加者全員にケアは行き届かないことも。
幹事ができる以上のケアを引き受けて自滅するよりも、幹事のケアは行き届かないであろうということを初めから理解してもらってから、参加してもらう。
これが俺の考えたオフの姿だった。
究極的には、俺は要所だけしか仕切らない。仕切らずとも、皆が意識を持って動けば自然と成立していくオフを目指した。
昼飯の時間を自由行動の時間と位置づけたのも、放任主義の一つの形だった。
昼飯を食う場所は何も用意されてはいない。ただ、地図は持ってきたからレストランの場所は分かるだろう。さあ、食いに行け、と。
これは、オフとしてベストではないだろう。
だが、幹事が集団をぞろぞろと引き連れていって結局行き詰る危険に比べれば、ベターな選択だったと考えている。
(当初予定に無かった、夜行組を迎えに行ってそのまま朝食を食うという段では、この方針が徹底されていなかったために、まさに行き詰まってしまっていた。)
なお、この運営方針を結果的に一番よく理解してくれ、俺の構想したような動きをしてくれたのは、集合時間直前に断りも無く秋葉原に行き、昼食時はbasaraたちがラーメン屋に入った時にはその店で既に食い終わりなぜか一人でゆで卵を食っていたという、ひとみちゃんことhtmだった。
アキバに行っても、ちゃんと自己責任で集合時間には間に合ってくれていたところまで含め、ひとみちゃんにはブラボーと言いたい。
俺にとっては、実質的には初めて幹事を務めることになったと言えるオフだった。
今日から数日間にわたって、オフ会についての様々な考察を書き記していきたいと思う。
まず、自分の務めた幹事という仕事について、改めて考え直してみたい。
幹事とは何をする人間か。
それはオフ会を運営する人間だ。
オフの前までには計画を立てたり、告知して参加を呼びかけたり、当日行く店の予約を取ったりするのが仕事になる。
こうした前日までの仕事では、それほど大きな問題は発生しにくい。だがそれ以上に難しいのは、オフの当日、実際に参加者を仕切って動かしていく、という仕事である。
指揮を取る事、人を思い通りに動かす事、というのはとても難しい事だ。
思えば、かつて関東のオフの幹事を長らく務めていた祐子(AISU)という人は、とにかくこの仕切るという作業に対して、並々ならぬこだわりと熱意を持っていた人だったようだ。
彼女はオフを仕切ることに強い使命感を持っていたし、またその一方では、皆が自分の思い通りに動かないと嫌だという、ある種のワガママさも持っていた。
仕切るのが好きで仕切るを頑張る、彼女は仕切りの人だった。
今回関東オフを運営するに当たっては、俺は祐子のやり方を踏襲しなかった。
それは、まず俺は自分の指揮能力の限界を初めから分かっていたからだ。
20人という人数を、初めから終わりまで引き連れてきっちり滞りなく動かすのは、そもそも俺には無理だ、という前提の下にオフを考え始めた。
そして俺は、今回のオフの運営方針に自己責任というキーワードを掲げることに至ったのだ。
自己責任というのは、イラクの人質事件をきっかけに世に広まった言葉だ。手前のケツは手前で拭くということだ。
集合場所に自分の責任でちゃんと現れる、現れなかった人は置いていく、といった、ある意味当たり前なのだが、なかなか出来ないことを宣言することから始めた。放任主義宣言である。
仕切り屋の幹事であれば、自分で可能な限り参加メンバーの連絡先を調べて、集合場所に現れなかったメンバーに電話をかけたりして、どうにか自分の責任の下に全員を導けるように、とするところだろう。
俺の見てきた祐子という人は、そういう人だった。
俺は、人を導くということに関して、自分の力は祐子の力に及ばないことを知っていた。
そして、仕切り屋祐子をもってしても、20人級の大規模オフでは、参加者全員にケアは行き届かないことも。
幹事ができる以上のケアを引き受けて自滅するよりも、幹事のケアは行き届かないであろうということを初めから理解してもらってから、参加してもらう。
これが俺の考えたオフの姿だった。
究極的には、俺は要所だけしか仕切らない。仕切らずとも、皆が意識を持って動けば自然と成立していくオフを目指した。
昼飯の時間を自由行動の時間と位置づけたのも、放任主義の一つの形だった。
昼飯を食う場所は何も用意されてはいない。ただ、地図は持ってきたからレストランの場所は分かるだろう。さあ、食いに行け、と。
これは、オフとしてベストではないだろう。
だが、幹事が集団をぞろぞろと引き連れていって結局行き詰る危険に比べれば、ベターな選択だったと考えている。
(当初予定に無かった、夜行組を迎えに行ってそのまま朝食を食うという段では、この方針が徹底されていなかったために、まさに行き詰まってしまっていた。)
なお、この運営方針を結果的に一番よく理解してくれ、俺の構想したような動きをしてくれたのは、集合時間直前に断りも無く秋葉原に行き、昼食時はbasaraたちがラーメン屋に入った時にはその店で既に食い終わりなぜか一人でゆで卵を食っていたという、ひとみちゃんことhtmだった。
アキバに行っても、ちゃんと自己責任で集合時間には間に合ってくれていたところまで含め、ひとみちゃんにはブラボーと言いたい。
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