町田オフの数ヵ月後。ポケネのサーバーが長期的に停止するということがあった。
この頃、ポケネでは住人の低年齢化も進み第一世代、第二世代初期の住人の間にはポケネに対する不満が募っていった。その不満が、この時期の鯖落ちをきっかけに一気に表面化することになる。
古参住人の多くが、まとめて一斉に引退宣言を出したのである。この影響で、ポケネは一時期急速に寂れていった。

だが、2000年年内には住民の流出も底を打ち、住民の顔ぶれは一新してポケネは新しい時代を迎えることになる。
これが第三世代である。
第三世代初頭のポケネをまとめ上げていたのは、たかやんであった。
たかやんは第一・第二世代を引っ張ったあき、たっぷやよりといった成年メンバーよりは年齢的に若く、ちょうど若年メンバーの中では一番年上といったところに位置しており、その意味では古参住人の去ったあとのポケネをまとめるニューリーダーとしては理想的な年齢だった。

2001年夏、北海道在住のたかやんが彼が東京に来るということで、MARIがたかやんに会いにいこうという計画を祐子に持ちかける。
祐子もまたこの頃、鯖落ち時の引退宣言をした一人であり、それ以来ポケネからしばらく離れていたのだが、これをきっかけに再びポケネに帰ってきた。
この後祐子以外にもそれではせっかくだから皆で会おうという話になり、次々に参加者が集まり、結果非常に大きなオフになった。
オフ当日の7月7日、たかやん自身が北海道から来ていた他にも、南は大分のJ.Kサクリファイス、徳島のTNT、岐阜のF−lanceなど地方からの参加者が多く、かなり広い地域から人を集める事となった。

たかやんをリーダーとして評価するならば、彼は柔和な性質で、問題事があっても落ち着いて対処できるタイプであった。
その反面短所を挙げるなら、他人、特に親しい女性住人の顔色をうかがい過ぎる傾向があった。
女の言いなり、ということでは俺も人のことが言えなかったという気もしないではないのだが、俺と彼とを比べて違うのは、たかやんはむしろポケネ内の意思を決定する立場にあったのに対し、俺の場合は相手の方が何しろポケネの意思そのものであった点が決定的に違う。
恐妻家の社長女社長のダンナの違いみたいなものだ。
そのことは、後には第三世代という時代の性格付けをはっきりさせていく事になる。

たかやんは北海道在住ということで、東京周辺のオフに対して頻繁な参加は困難であったために、オフラインでの強い影響力を得るには至らなかった。
(それでも2回東京のオフに参加してくれたのは嬉しい限りだったが)
その上、彼は人喰い蝶々として名を馳せたらら喰われる等してポケネから失脚。
後に別なところで上手くいったようなので、結果的には良かったが。

たかやん亡き後のポケネ関東オフは、この後祐子が取り仕切る事になり、彼女はポケネオフ会において最大の影響力を持つ事になる。
一方、チャット内でたかやんがまとめ上げたグループは、この後F−lanceの思想によって一色に染め上げられていく事になる。
こうして、ポケネには祐子派とランス派の二大派閥が成立していくのである。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

日記内を検索