今をさかのぼる事4年。
2000年4月2日、ポケネ史上最も意味のあるオフ会が開催された。
ポケネ宴会。通称、花見オフである。
この時の幹事はよりあきたっぷ熱気バサラ
幹事の中ではよりが最も年上で、幹事の中でも中心的存在だったようだ。オフの告知サイトもよりが作っていた。
当時のポケネはあきの勢力が全盛期であり、たっぷもまた一方で絶対的な権勢を誇っていた。バサラは彼らよりも若い世代の代表として幹事に就任したようなもので、実質的な仕事はあまりしていなかったようだ。

ジャーヴィスKAJIKENにポケモンの対戦でボコボコに負けた。
その恨みは今も忘れていないらしい。

この花見オフは、お金がかからない企画でもあったために非常に多くの参加者が集まり、第二世代のポケネの隆盛ぶりを如実に示す盛り上がりを見せた。
このオフは、ポケネの歴史上で大変な意味があった。この後のポケネオフの歴史は、全てが花見オフから始まっている言っても過言では無いだろう。
参加者ほぼ全員初対面で、チャットで知り合った者同士がオフラインで対面する新鮮さという、オフ会が本来持っている魅力を強烈な印象をもってポケネに齎した革命的なイベントだったと言える。

この当時祐子(AISU)は、あきやたっぷらが活動していたテレホタイムよりも早い時間帯、主に夕方頃を中心に活躍していた。
当時、七瀬などあきを支持するものは多かったのだが、祐子もまたあき信者であった。
祐子はこの時、途中からNANA朱藍(この3人をまとめて女子大製図と呼称したい。命名者:aturn)と共に別行動を取る。花見自体が途中からだれていたのかもしれない。

祐子がこの時の花見に不満があったのかどうかは定かでは無いが、どちらにせよ、この花見の経験が祐子の中で同じ年の夏にあった町田オフの動機付けになったであろうことは間違いない。
この町田オフに参加したメンバーは前述の女子大製図の祐子、NANAと、CUCから作者青めそすぷーむが参加している。それ以外にlullpikaわーきゃん、バサラなどを加えたのが町田オフの陣容だった。
平たく言えば女子大製図とCUCの合コン+αであった。
これ以降、女子大製図とCUCとの間に、同盟が締結される。この2つのグループの繋がりが、後に第三世代祐子派の核となっていくのである。

lullpikaとバサラは兄弟のようにそっくりだったので一時兄弟説も流れたが、お互い不服だったので盛り上がらなかったという記録が残っている。

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